1992年ニコちゃん通信の会から2012年ニコちゃんの会へ

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在宅で暮らす重度心身障がい児やその家族のためのサービスや支援がほとんどない頃、
障がいのある子どもたちが通うニコニコ園で仲良くなった数人の親たちは、障がいのある子どもたちのことを愛を込めて「ニコちゃん」と呼び、どこかの家へ集まってはお互いの子どもたちと関わり、日常のことや不安なことをおしゃべりしていました。
そんな中ニコちゃんの一人、森山涼子ちゃんが1991年8月12日3歳4ヶ月の人生を全うし天国へ逝きました。

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「どんなに重い障がいがあっても、子どもたちが社会の一員として楽しく生きていくためには、親が主体となって声を上げていくコミュニケーション誌をつくる!」
涼子ちゃんの死をきっかけにそこに集まっていた親たちは、太田亜貴ちゃんのお母さんを中心に動き始めました。そして、1992年の春「ニコちゃん通信」が誕生しました。以来「『障がい児』の親ってけっこうイイじゃん」(ぶどう社)の出版、社会福祉事業団の助成を受けて作成した子育て支援マップ「らいふ」の発刊、学習会、講演会、ニコちゃんどんたく隊として祭りへの参加、ネットワークづくりなど、さまざまな活動を実施しました。全国に600人を超える会員さんとのつながりを持つことになりました。

ニコちゃん通信を始めた頃、2歳~4歳だったスタッフの子どもたちが今では高校を卒業し成人を迎えています。病気も障がいも厳しい状況の子どもたちが多かったこともあり、天国に逝ってしまった仲間も少なくありません。今でも生き抜いて頑張ってくれている仲間たちも、命の厳しさは増しています。大人になった喜びの反面、幼い頃とは違った介護や生活の難しさがあります。
親の生活のありようも大きく変化しました。

若かった頃の自分たちとは違う生き方やライフスタイルを模索し、これからは一人ひとりが自分の生きる道をみつめながら、それぞれの活動の場で周りの方々と新たなつながりや関係を広げていこうと、2009年のニコちゃん通信の発刊に終止符を打ったのです。
しかし、現在でもどんたくへの参加は継続して行っていますし、親たちの絆は脈々と続いています。

1996年からニコちゃん通信の活動に合わせて、涼子ちゃんの親である森山淳子は障がい児の親、健常児の親、子どもを亡くした経験のある親として、もっと何かできることがあるはずと考えました。
そして、「ハンディに関わらずこころ豊かな人生をおくろーよ」をモットーに、余暇や遊び、文化芸術活動などの社会参加に特化して活動を始めました(お遊び助っ人企画)。この活動では、年齢や障がいの区別なく一緒に遊び、関わりを持つ中で育まれていく豊かな瞬(とき)を提供してきました。
 

「ニコちゃんの会」は、「ニコちゃん通信の会」や「お遊び助っ人企画」といった活動を経て、
「どんなに病気や障がいが重くても、楽しく暮らせるこころ豊かな人生を生き抜く」というスピリッツを受け継ぎ、会の名前を「ニコちゃんの会」としてまた歩き出しました。

niko